伊那市坂下の内科・小児科専門の樋代医院(樋代昌彦院長)が、3月末での閉院を決め、51年にわたる歴史に幕を下ろす。1973年10月、現在の樋代院長が建物の改築と医院を再開。地域医療に加え、学校・産業保健活動に従事し、地元の健康づくり、健康維持に貢献してきた。88歳の高齢に伴う目や耳の衰えから、昨秋には閉院を決意したという。30日午前9時~正午の診療が最後になる。
■受け継いだ施設改築し医院再開
樋代院長は1936年、宮崎県都城市生まれ。軍医だった伊那市坂下出身の父親とともに一家は朝鮮半島や台湾、満州(現在の中国東北部)を巡り46年、10歳の時に母親とともに日本に引き揚げ父親の郷里に帰る。その後、父親もシベリアから帰還し、坂下で開院。しかし数年後、父親は63歳で他界した。
樋代院長は当初、「船乗りになりたい」などの夢もあったが、父親の姿を見て育ったこともあり、日本大学医学部に進学。卒業後は総合病院の内科勤務医だったが、教授らから「内科医として古里で開業を」との勧めを受け、坂下に戻って来た。父親から受け継いだ施設を改築し、父親の逝去後に閉じられていた医院を再開した。
■手を組み病気に立ち向かうべき
開業以来大切にしていたのは、病院と診療所の連携「病診連携」。患者を自らの手元にとどめるのではなく、患者の治癒を優先し早急に専門家(専門医)に引き継ぐよう心掛けてきた。「時間がかかると分かっていても規模の大きな病院に向け紹介状を書いてきた」。求めに応じてくれた多くの病院には「感謝している」という。
昨今は、医師自身が突然に亡くなるケースも多いと言い「自分は閉院まで紹介状が書けている。医者として運が良かった」。閉院を決めてからはなじみの患者を他の医師「後医」に引き継ぐための紹介状を書く量が増えたという。中途で患者を放り出すことなく「次にバトンが渡せて良かった」と胸をなでおろす。
樋代医院の歴史はここで終了するが、「医者は一匹おおかみではいけない。皆で手を組み、多種多様な病気に立ち向かうべき」。その思いは今も変わらない。
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