樹齢70年以上のタカトオコヒガンザクラと、根元から伸びたひこばえの桜を観察する桜守の西村一樹さん=10日、高遠城址公園

伊那に息づく桜精神 桜守・西村さんに聞く

2024/04/11 06:00
社会

 伊那谷に暮らす人々にとって桜は特別な存在だ。東西アルプスの雪解け水が流れ下るころ、桜は里山を明るく彩り、春の訪れを告げる。「日本一の桜の里づくり」に取り組む伊那市には”桜精神”が息づき、桜を保護、育成する取り組みが受け継がれてきた。桜を守り育てる「桜守」という仕事もある。市振興公社で桜守のリーダーを務める西村一樹さん(41)を高遠城址公園(同市高遠町)に訪ね、桜の歴史と思いを聞いた。

 

 高遠城址公園は年間20万人が訪れる桜の名所。1875(明治8)年ごろ高遠町小原の馬場にあったタカトオコヒガンザクラを旧高遠藩士が移植したのが始まりとされる。現在は約1500本までに増え、公園全体を薄紅色に染める。

 

 ただ、樹齢100年以上の古木は30本ほど。大半は戦後に育てられた桜だ。古木の根元から伸びたひこばえを大切に見守り、大きく育てながら本数を増やしてきた。小ぶりで赤みのある花のかれんさと規模の大きさから「天下第一の桜」と称される。

 

 桜精神は、1979(昭和54)年制定の「高遠町桜憲章」で明文化された。町民全体の貴重な財産であるタカトオコヒガンザクラを適切に管理し、次世代に継承する決意を示したもので、桜の管理方法や教育の重要性、自然との向き合い方などを8項目にわたって記している。

 

 西村さんは高遠町出身。千葉県の大学を卒業後、桜守の仕事を知り、伊那市振興公社に就職した。公社の桜守は6人。旧高遠町を4人、旧伊那市を2人が担当し、年間を通して桜の生育状況を観察し、施肥や消毒、病害虫駆除、剪定といった業務に当たる。

 

 西村さんは出社前、高遠城址公園にある全部の桜を見て回るという。「桜がずっと頭から離れない。どんな桜であれ目が行きますね」。満開直前の10日は休日だったが、これから伊那谷の桜を訪ね歩くと笑顔で話していた。「桜は日本人の心だと思う。冬を乗り越えて咲き、みんなの心を明るくしてくれる。大切な桜を守り、引き継いでいきたい」と決意を語った。

 

 タカトオコヒガンザクラは公園以外にも町内を中心に5000~6000本あるという。150年前に植えた旧藩士の思いが満開の桜となって今も息づいている。

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